「胃ろう」をつけてるそうです。最近親族から聞きました。思いあたるふしがあるので、聞いた瞬間「やはり」と思いました。胃ろうとは、胃に直接栄養を送る装置のことです。口から食べられなくなったり、嚥下機能が落ちた時に付けます。
伯母は98歳。認知症でかなり前から老人ホームに入居しています。伯母には実子がいません。伯母に関わる主なことは、姪であるN姉が主体でやっています。
うちの母は5年くらい前に、
「私には延命治療はしないで。あんなことして生きたいと思わない。」
とはっきり言いました。
そして伯母のことを話しました。
認知が進み、ずっとボーっとしていて自分たち兄弟のこともわからない、何も話せない。
「人はいつかは死ぬ。あんなことしなくていい。」
達観したようなことを言う母に驚きました。
おそらくその頃、伯母の延命治療について皆で話したのだと思います。「延命治療」という、日頃使わない言葉を使ったから、私はビックリしました。母は、伯母の姿を見て自分の未来を考えたのだと思います。
伯母の詳しい経緯を聞くけど、母は「もう覚えてない」と言います。母も認知症で色んなことを忘れているのです。
今でも延命については、「延命治療はよくない。周囲に迷惑をかける。」と言っています。
伯母は今も寝たきりで、ずっとベットの上だそうです。
延命を検討するような場面になると、決断は家族や親族がすることになります。でも、こんな重要な局面を、家族とはいえ、本人ではない人が決めるのはどうなのか?酷ですよ。
「どうする延命?」と、他人の命の決断を迫られても、迷う家族はたくさんいると聞きます。やはり元気なうちに家族に意向を伝えておくのは大切なことですね。家族への心理的負担も減らせます。
アラ還の私も、夫と終末期の話しをよくするようになりました。治癒する見込みがないなら延命治療はされたくないと思っています。ボケてヨボヨボでも、最期まで自分の人生は自分のものでありたい。
高齢になり、次第に口から食事がとれなくなったら、お迎えがきたサイン。自然に任せてそのままでいいのですよ……
当たり前だけど、人はいつか死ぬのだから。