薬指のブログ

日々おこる出来事や想いを綴ります

家族を失うことをイメージしておくのは必要なことだと思ってる

昔の話を母とよくします。

私が二十歳くらいの頃、祖母が病院に入院し、亡くなるまでの一年半ほど寝たきりでした。ふと頭に浮かんだ、「ジョクソウ」という言葉。

「おばあちゃんに褥瘡(床ずれ)はできた?」
と母に尋ねると、父が毎日のように病院に通いケアの手伝いをしてたので、褥瘡はできなかった、という答えでした。

定年退職後、生真面目な性分の父がまめに祖母の世話をしていたのは、私の記憶に鮮明にありました。そう聞くと別のことも思い出しました。

祖母の死の直後から、父がこんな不満を皆に言いました。
「あれは病院の医療ミスだ。もう少し処置が早ければ、バアサンはもっと生きられた。」

祖母は87歳。肺炎から寝たきりになり、その後、どういう経過をたどったのかわかりませんが、母をはじめ父の兄弟達も「もう老衰だから」と父のことを相手にしませんでした。

父は介護に一生懸命でした。あまりに一途に世話をし、母親の死を受け入れられなかったのかもしれません。父が思うような適切なタイミングで医療がなされたら、数時間、1日、2日或いは一週間くらいは、延ばせた命だったかもしれません。たとえそれがわずかな時間でも、父にとっては貴重な時間だったのだと思います。

父は、葬儀、四十九日を終えても暫く…半年くらい親の死を嘆いていました。父の心はぽっかりと穴が空いたような状態で、介護の果ての空の巣症候群のようなものだったのかもしれません。そんな父の胸中を汲むことなど、当時二十歳の私はもちろん誰にもできませんでした。

生きてると誰でも、様々な節目で環境の変化があります。
私でも、子の独立、私の離職、とこの3年間の2つの出来事で、喪失、悔恨……と想像もしてなかった心境になりました。しごく当たり前と思われる出来事でも気持のバランスを崩すのに、これが家族や親の死だと相当なダメージを受けそうです。

当時の父を思い出す度に、親の死のその先を想像し、心の持ちようを具体的にイメージしておくことは必要なのだと思います。死を迎え介護の役割が終わっても、残った者の人生は続きます。その後の自分が平穏に日常を送る為にも。