薬指のブログ

日々おこる出来事や想いを綴ります

「東大教授、若年性アルツハイマーになる」若井克子 著

脳外科医の東大教授が50代で若年性アルツハイマーになり、その後の16年間の生活を奥様が書き記したものです

若井晋さんは50代にして、目的地にたどり着けない、住所が書けない、ATMの操作もうまくできないなど様々な症状が出てきます。最初の頃は、漢字が相当書けなくなったと自覚し日記をつけ始め、漢字の練習もしていました。

そのような中、若年性アルツハイマー病の診断を受けます。診断は、受け入れがたいことだったようです。本人が葛藤する様子、支える家族の姿も書かれています。60歳を前に仕事は退職し、その後は若年性アルツハイマーの当事者として講演活動をします。次第に体は弱っていき、自宅で最期を迎えます。

体の異変を疑い診断を受けたことや、工夫しながら講演会を乗り切ったこと、自宅での様子とデイサービスを何度もやめる話。どれも興味深く読みました。

 

特に最終章の第5章
「彼の住む世界」晋は何を感じ、考えているのか

他人事とは思えない気持ちで読みました。内容は、以下のようにすすみます。

弱っていく体、澄んでいく心
デイサービスになじめない
「ちがうんだよ」と騒いでしまう理由
「大変だったなあ」と言って欲しかった
つかの間の対話、通じ合う心
最後に聞いた言葉

読んでいくとあらためて、
認知症の当事者は、何を感じ、何を考えているのだろう」
と思うようになりました。

私は、認知の人の気持ちを想像しようとせず、「認知になったらもう仕方がない、何にも理解できないし。」と思ってました。

認知で困ること、終末期を生きる気持ち、その感情は本人だけの体験で、その先に回復などないから、当然何かが語られることなどありません。この先、医学の研究が進んだとしても誰もわからないまま。当たり前だけど再認識しました。

奥様の克子さんは、若井さんをよく観察し、気持ちを想像しながら寄り添っています。信頼しあう夫婦の姿がありました。

 

私には認知症の高齢の両親がいて、特に母は、できないことが増えてる自分を嘆きます。この先どうなるか不安のようで、時々泣きます。病気を発症して命を落とすのも酷ですが、認知を自覚し不安な気持ちで生きるのも、苦しいのだろうと感じます。

老親を持つ家族はどう寄り添えばいいのか、できることは何か……わからないことだらけですね。