今週のお題「忘れたいこと」
忘れたくても忘れられないことは、嫌なことが多いです。編集部さんも罪ですね。
最近の私の場合、長年勤務していたパートから離れ、専業主婦状態で、余りある時間の中で考えが終始浮かんでくることも。何かに追われ忙しかった時は、それ程思い出すこともなかった事柄が、今では繰り返し浮かんできて自分が嫌になります。
この話は、いつも夫にしてしまう話です。こんな話をここで書くのはどうかな、、と何日も悩みましたが書きます。夫に時々このことを蒸し返してしまいます。でも、もうこれで最後にしたいのです。
このエピソードと決別するために書きたいと思います。
実家の竹林
それは、夫の母の葬儀を家で行ったことです。今でも忘れられない出来事です。2008年、リーマンショックの年です。
今時、家でするなんて聞いたことありませんね。どんな田舎かよって思われるでしょう。そう、田舎です。喪主の妻であり嫁である私が走り回った数日間でした。
私は、親族たちの朝昼夜のお茶に食事、当日のおときの配膳など、とても大変でした。人が滞在すると何かと主婦は動かなければなりません。お通夜は20人くらいが家に泊まりました。皆で雑魚寝。線香を絶やさない為、寝ずの番をするのです。翌朝も朝ご飯を必死で作り、お茶を大量に沸かし2人の娘たちをフル回転で使いました。何せ夫は4人兄弟の末っ子長男で、嫁は私一人。私が指示できる相手が10代後半の娘しかいなかったのです。3人が宿泊施設の調理人状態でした。
一番大変だったのは、葬儀の時のおときのお弁当の片づけです。50個くらいのお弁当の処理は生ゴミとそうではないゴミに分けました。数日間大人数で滞在しましたので、大量のゴミです。生ゴミは二重、三重にして、大量の他のゴミと一緒にすべて持ち帰りました。我が家はそこから高速で6時間かかる九州です。広島県に住む義母は一人暮らしでした。これからは空き家になるのでゴミを置いておくわけにはいかなかったのです。ゴミの処理が一番大変だったですね。やってもやっても終わらない、夜遅くまで。今でも思い出すだけで嫌になります。
救いだったのは、娘二人がよく手伝ってくれたことです。文句も言わずに黙ってやってくれました。
何故そうなったのか。よーく考えてみました。ずっと昔なら、普通に葬儀は家で行っていて、近所の隣組が機能していたはずです。私の実家では、祖母のおときは隣の家で行いました。近所の方が色々とお手伝いをしてくれたのです。家の人は火を使ってはいけないと言われ母は静かに座っており、喪主の父は弔問客の相手をしていました。なんとも違う葬儀のさまにあきれ返るばかりでした。今は会館で行う人がほとんどですから。家の中に入り込んでのお手伝いは、やらないのが普通ですね。だとしたら、葬儀を家でやること自体に無理があったのだと思います。
以上が私の忘れたいことです。葬儀の話なんて、こんなことを書いてしまいご気分を悪くされる方がいたらすみません。
これを機にこの話を自分の中で封印したいです。読んで下さりありがとうございました。