薬指のブログ

日々おこる出来事や想いを綴ります

法事を終え、心に浮かんできたこと

義母の17回忌法要を無事に終え、昨日夜にかえってきました。

久しぶりに夫の兄弟らと会い、皆そこそこに元気のようで安心しました。東広島市のお寺でお経をもらいました。

 

法要は、「仏説阿弥陀経」(浄土真宗)を皆で唱和し、そのあと、お寺の住職さんのお話をもらいました。

住職さん(50歳代くらい)の話がとても心に沁みました。失礼ながら、そんなに話が得意な方ではないのですけどね。

 

今回は、ご自分のおばあさまの話をされました。おばあさまは、養子を迎えお寺を継いだと聞いていたけど、よく調べると(色んな方に聞いてまわった)とても苦労をしたことがわかったという内容でした。

 

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時は戦時中。おばあさまはお寺に嫁いだものの、夫も息子も戦死。自身の実家も(現在のお寺)も男子が亡くなり、両家ともにお寺を継ぐ人がいなくなったそうです。一時期は二つのお寺を存続させるために、掛け持ちで檀家をまわり奔走したそうです。何の苦労もなくきたわけではなかったのです。

今このお寺があるのは、苦労した先祖がいたからと感謝をされてました。私たちも、そのような経緯でお寺が存続してきたことを知らなかったので、貴重な話を聞けました。

 

そして住職さんは、「人は、自分の物差しで物事を考えてしまいがちだ」と言われました。

広島に住んでるのだから、原爆投下が一番気になるのは当たり前。ですが、他の地域のことにも極力目を向けたいと、今年は6月23日の沖縄の「慰霊の日」(沖縄での組織的戦闘が終結した日)に行ったことを話されました。

 

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法要にくる前、ホテルの部屋でサンデーモーニングを何気なく見てると、野球評論家の張本勲さんが広島の原爆被爆者であることを知りました。驚きました。自分のお姉さんが苦しみながら亡くなったことも話されました。張本さんは涙ぐんでました。被爆したことは、差別や偏見を避ける為に長年ずっと隠し続けてきたそうです。

 

テレビでの張本さんの話に続き、お寺でも戦争で亡くなった方々の話を聞いた。残された人たちの苦労も知りました。

戦争関連の話を立て続けに聞くと、今現在、戦争をすることなく暮らせてることを大切に思わなければならないと思いました。

このところの隣国の動きは恐いです。有事の時にしっかりと動ける日本であって欲しいと願っています。

 

 

今回も珍道中ならぬ、反省すべきことのある二日間となりました。長くなるので一旦ここで切ります。次回は、「懐石料理店に行くのに義姉が道を迷ったこと」とか、法要にかかった費用のことも書こうかな。それではまた。

 


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