広島に原爆が投下されて、77年がたちました。
夫の家では、伯父が広島市内で原爆により命を失っています。36歳。尊い命が一瞬にして奪われました。そして、残された家族も厳しい道を歩むことになります。
伯父には妻子がいて、未亡人となった伯母は再婚し他家へいきました。一人娘のさーちゃんは、そのまま家にとどまり、祖父母に育てられました。さーちゃんは父親をほとんど知らないまま、母親とは幼い頃に離れ離れになってしまいました。
義父は三男でした。家業を継ぐことになった義父と結婚した義母は、皆でさーちゃんを育てたと話しをしていました。
義母の姉もまた戦争未亡人。のちに再婚しました。
私は縁あって広島県出身の夫と結婚しましたが、近しい親族の悲しい出来事に、初めて聞いた時は言葉も出ませんでした。
それまでの私は、原爆に関しては、長崎への投下の方がより切実に感じていたことでした。
原爆は当初、北九州市の小倉に落とされる予定でした。8月9日のその日は、「上空が雲で覆われていたので長崎へと変更された」と通っていた小学校でも繰り返し教えられました。
当時、うちの父は小倉に住んでいたそうです。
「もし小倉に落とされていたら、自分の命はなかった。そして、おまえたちもこの世にいなかった。」
といつも言われていました。ことの重大さを初めて認識したのは、小学校に入る頃だったと思います。凍り付くような、震えるような感覚に陥ったことを覚えています。
6日は広島、9日は長崎です。原爆の日が訪れるたびに、核兵器の悲惨さや戦争のことを考え、犠牲となった人々やその家族にも想いを馳せます。
<タカサゴフヨウ>