義実家の片づけを始めたのは15年前から、義母が亡くなってからです。
昨年秋に解体が決まってからは、平日に有給を繰り返しとり、一気にすべてを片付け、先月無事に家を解体することができました。
義母の作成した、大きな刺繍の絵を処分するのは忍びなかったです。古い納屋からは、昭和の頃の農機具、もっと古いと思われる大工道具もでてきました。そこで暮らしていた人たちの、生前の生活に触れたようで、ほんの少し時間を共有したような感覚になりました。私の中で、想い出が一つ増えました。
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実家の片付けをすることで、ものに対する意識が変わりました。
・新しいものは気軽に買わなくなった。
・使わないと判断したものは潔く捨てるようになった。
・買いものをする時、捨てる時のことを想像するようになった。可燃ごみ、不燃ごみ、あるいは粗大ゴミとして出すのかなど。
・処分がしにくいものは、どうしても必要でない限り買うことのないようにした。
実家の片づけと同時進行するように、自分の家もどんどん断捨離をし、ものを減らしていきました。
必要なものもあります。仏壇です。サイズはコンパクト、色は家具調、リビングに置いても違和感のないような雰囲気のものを昨年購入しました。娘達には、「上部だけが仏壇で、下はチェスト」、それと「いつか処分の時は、一人でも抱えられる重さよ」と伝えています。そういうとフフフと娘は笑います。
2020年に霊園に新しく建てたお墓も、生きてるうちの墓じまいを頭の片隅にいれています。そんな会話が私たち夫婦の中で交わされるのです。
海へ散骨したり、樹木の下に埋葬することもできます。先日はテレビで、遺骨をダイヤモンドに加工するのが紹介されていました。骨を埋葬するお墓など、ない方がいいのかもしれません。次々と新たなやり方が生まれ、それらが当たり前になってくる日が来るのでしょうか。
私はそうなって欲しいと思っています。形のあるものは、維持にも負担がかかるし、いつかは朽ち果てます。特に構造物は今後いっさい、壊すことはあっても、作ることはないようにしなければと思っています。
「形あるものいつかは壊れる」
物も人も、なにごとにも終わりというものがある。そして何もなくなる。この数年は、そんなことを考えた日々でした。
―――最後に、現実的なお話です。ご参考までに。
解体工事 435万 家屋2軒、家電6個・開かない金庫の処分費含む
仮設道路工事含む(車の乗り入れができない土地の為)
片付け費用 23万 4回分の宿泊費、交通費、軽トラレンタル代など
休業補償、謝礼など 11.5万 近隣に畑を借り、仮設道路を作った為に発生したお金
合 計 469.5万円 ・・・でした
( ̄▽ ̄;)