薬指のブログ

日々おこる出来事や想いを綴ります

「姑の遺品整理は、迷惑です」垣谷美雨 を読んで

「姑の遺品整理は、迷惑です」垣谷美雨 を読みました。ブログで紹介されている方がいて、強烈なタイトルにひかれ、すぐさま図書館で借りてきました。まさに今、私が読むべき本。そうよ、そうよと共感しながら読みました。以下、私の家のことも書いています。

主人公は、亡くなった姑の、物にあふれた部屋の片づけを仕方なく始めます。パートの休みをもらい、重い物も抱え必死で作業をします。大変な思いをしながら、徐々に姑の生前の生き様にも触れていくことになります。嫌な人だと思っていた姑が、団地の人と知り合うことで、人徳ある人として皆から慕われていたことがわかるのです。遺品整理と引き換えに、人情の厚い姑の人となりに触れることが出来たのは、本当に幸せなことだと思えます。

実母を素晴らしい人と思っていた娘としての主人公。小姑として弟の嫁に要求する姿も描かれます。姑の遺品整理をしている嫁としての経験から、実母の物の処分もやむなく受け入れます。自分の夫が、母親(姑)の物を処分を嫌がったことが決断の背景にあります。登場人物がそれぞれの立場で遺品整理を考える姿が描かれていて興味深いです。

人はいつか、この世から無くなります。肉体はすぐさま儀式により無くなってしまうけど、物は誰かが処分するしかありません。処分の先延ばしなんて、誰かに役目を押し付けるも同じ。でも、立場により想いも違うので、遺品整理をためらうのは仕方のないことです。それぞれが気持ちに折り合いをつけることが大切ですね。

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私の家の現在地  ここからは我が家の話

一人暮らしだった姑が亡くなって14年たちました。義姉等から「想い出の家だから暫くは壊さないで」と言われました。4人兄弟全員が鍵を持ち、行ける人が掃除に行くという体制で空き家を維持してきました。ですが次第に足が遠のき、定期的に帰省するのは、持ち主である私たち夫婦だけになりました。「家の老朽化が進み壊したい」という末っ子長男である夫の言葉に、意義を唱える人は誰もいませんでした。故人の物との決別には、時間も味方してくれます。もっとも、過疎地の田舎で、満足な道路もない場所にある実家ですから、売却なんて夢のまた夢。残して欲しいと言われなくても、そのまま放置しておくしかなかったのが実のところです。

2年前には、敷地内のお墓を無事に霊苑に移転させることができました。昨年は、お仏壇もこちらに持ってきました。まだある荷物を搬出した後、業者さんに解体をお願いすることになります。

もう1回帰って作業すると、すべての物を出し終えることが出来そうです。母屋は既に終了、納屋の2階がまだ残っているのです。おそらく、軽トラ3回分で出せそうです。軽トラは最大積載量が350キロ。それを3回ですから、約1トンくらいのゴミを出すことになるでしょう。

この時期に「姑の遺品整理~」の本に出合って良かったです。これから片付ける納屋の2階にあるものは、昭和40年代の古い物ばかり。布団、ストーブ、台所用品と、まるで時が止まったかのように当時の物が置かれたままです。次回の帰省時には、義父母のこと、義祖父母のことも想いながら片付けをしたいと思います。